夢から生まれた七福神

山々に囲まれた飛騨では、昔から、建築物や家具、仏像彫刻、一位一刀彫など、生活から芸術まで、飛騨の木々を活かした「飛騨の匠」の技が磨かれてきました。

 

高山市松倉山の麓、飛騨の里の一角にある「飛騨開運乃森」に世界一大きな木像の七福神が祀られています。この七福神に、とある飛騨の匠たちの物語がありました。

 

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彫り師は、山村佐藤兵衛さん(やまむらさとべえ・明治41 年生まれ・享年80歳・写真左)と中村円正さん(なかむらえんしょう・昭和17年生まれ・享年44歳・写真右) 。周囲からは甚五郎(じんごろう)コンビと呼ばれていました。

 

佐藤兵衛さんは、飛騨市古川町数河(すごう)生まれ、生涯を数河の土地で過ごしました。青年期には身体が弱く、第二次世界大戦の徴兵にならなかったため、木彫職人の弟子となり、そこでは、顔の表情だけを専門に彫ることを学ばれました。17歳の時、初めて自分の手で布袋(ほてい)様を彫ったと言います。

終戦後は、23歳頃から数河地区の区長を勤め、またその後は20年間町会議員を勤めました。人柄が良く、町の人からは信頼されていたそうです。町会議員の傍ら、気の向くままに、下書きもせず、地元の木材を使い、七福神を彫っていました。 中には、木の中が腐りかけていたものを拾って彫った大黒様も在りました。

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山村佐藤兵衛作・七福神。中央の大黒様は、腐りかけた倒木から制作したもの。数河ドライブイン所蔵。

また、削りだして仏像には使われなかった端材は、薄い札に切り出し、そこには、仏教などで通説されている言葉を書き、遊びにきた友人たちに配ったと言います。

 

もう一人の彫り師、円正さんは古川町袈裟丸地区出身。佐藤兵衛さんと歳の差は34歳。円正さんは手先が器用であり、大工仕事が得意でした。また「飛騨の円空さん」と呼ばれるほど、円空仏を彫ることを得意とし、円空仏をお土産屋で販売して生計を立てていたと言います。

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中村円正作・円空仏。大彦(高山市上二之町)所蔵。

お父さんを早くに戦争で亡くした円正さんにとって、佐藤兵衛さんは師匠でもあり、父親でもありました。

 

1980年のある日、現在の「飛騨開運乃森」ご主人・倉坪信雄さん(現在80歳・古美術商)は、山から七福神が歩いてくる夢を見ます。そして、その数日後、高山市郊外にある製材所の隅に高さ8メートルに及ぶ樹齢約700年の米杉と出会います。落雷を受けたため片面は割れ、更に大きなこぶもあり、製材としては要を足さない体裁をしているにも関わらず、倉坪さんの胸に残り、翌日、持ち帰ります。しめ縄をかけ、お神酒を捧げ、眺めていると、木から大きな袋を担いだ大黒様の姿が浮かんできたそうです。

 

そこで、以前から親交のあった先の佐藤衛門さんと円正さんに声をかけ、その木から大黒様と恵比寿様を彫ることを決意します。佐藤衛門さんが顔部分を彫り、円正さんが仏像全体の設計と身体部分の彫りを担い、約一年の歳月をかけて完成しました。

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昭和56年大黒様を彫る円正さん。左は恵比寿様の原木。

 

完成後しばらく置く場所が決まらず、家に仮安置していると、倉坪さんの夢の中に大黒様がお見えになり、家から東に向かって歩き出したそう。夢の中の大黒様が止まった家から100メートルほど離れたところを、実際に祀る場所としました。

 

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左・恵比寿様 右・大黒様

その二体の完成後、倉坪さんは夢のお告げによって、次々巨木と出会います。そして、佐藤兵衛さんと円正さんのコンビは、約10年の歳月をかけ、七福神と吉祥天の計八体を完成させました。最も大きい像は8mを越え、2002年にはギネスブックに登録されています。

全部が完成するまでの10年の間、倉坪さんは外泊をすることなく、 一日も欠かさずこの大黒天を磨き続けました。その御蔭を被ってか、倉坪さんは、全て大黒様が教え導いてくれたのだと言います。

 

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弁財天と板倉。

また、七福神が祀られている板倉も大きいものばかり。ほとんどが神岡町山之村(標高1000メートル・富山県との県境にあるいくつかの集落の通称)から移築されました。飛騨では、板倉は土蔵に変わる木造の倉。これも飛騨の匠・石田春皐氏が手掛けた建築であり、その作りには目を見張ります。

 

元来、1700㎡の自然林の敷地内に水源はありませんでした。しかし、福神の啓示をもらい、その通りに従ったところ、啓示通りの大黒天生誕1700日後に清水が湧き出ました。いまでは「福徳の水」として七福神にお供えしています。また「福徳の水」を使い、「福」というお神酒を醸造しています。

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福徳の水

 

最後に仕上げた「寿老人」のみ、佐藤兵衛さんの地元・数河ドライブインに、佐藤兵衛さんが一人で彫った直径60センチ程の七福神と共に祀られています。

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高さ8mの寿老人。数河ドライブイン所蔵。

 

佐藤兵衛さんと円正さんが八体(七福神と吉祥天)を彫り終えたのち、円正さんは一人だけで「不動明王」を彫り上げます。その一体は昭和63年7月に完成し、4ヶ月の11月、円正さんは44歳という若さで天に召されました。後を追うようにその約1年後、佐藤兵衛さんは80歳でこの世を去ります。

 

経済的にも体力的にも大変な仕事だったにも関わらず、佐藤兵衛さんは、「いまやらねばいつ出来る、俺がやらねばだれがやる」を口癖としていました。佐藤兵衛さん、円正さん、倉坪さんの三位一体となった神業は、まさに神様に導かれたものだったのでしょう。

「神は創造の原点にあり人は想像の接点にある」と、倉坪さんは語ります。人間に啓示された自然の中の神様の姿は、いつでも暖かく迎え、私たちに優しく語りかけてくれます。飛騨の山の懐には、木々は彫らずしても仏の姿で、この地を守ってくれています。